幻の電源爆破事件

幻の電源爆破事件

電産猪苗代における政府・経営者(資本)のレッド・パージ

 1950年7月23日付「福島民友新聞」第一面に「電源破壊計画、猪苗代で怪文書発見」の見出しが出た。日発猪苗代第一発電所内で爆破計画書と思われる怪文書を発見と報じた。この発電所は当時たびたび送電線や重要施設の施錠が破壊され注目を引いていた。新聞は、「文書が発見された配電室は電産猪苗代分会が組合会議で使用する場所である。警察は、発電所内を知る者の思想的な背後関係を捜査方針としている。」と報道した。

 この猪苗代第一発電所は、会津地方の発電所から集まる電力を東京方面に送電する重要施設。(1914年(大正3)猪苗代第一発電所から東京(北区田畑)までの225Kmの長距離高圧伝送に成功。)

 8月13日「東北地方電源防衛決起大会」を電産内反共産党勢力民同派(民主化同盟(注))の幹部536人が会津若松市公会堂で開いた。その場で「電産猪苗代正統派分会」の代表が経緯を述べた。 「われわれは今まで日本共産党に悩まされ続けてきた。現在猪苗代には政党派分会が結成されたが険悪な空気のうちに奇怪な事実が続発し、発電所は危機にさらされている。防衛組織の確立こそ急務である。」大会スローガンとして
「日本共産党の発電所破壊を我らの手で守れ」
「民族の裏切り者ソ聨の犬日共を叩き出せ」
「ソ聨の植民地化反対、ソ聨の軍事基地化反対等」
を採択し、決議文をマッカーサー元帥、吉田首相、法務総裁、国警隊長、東北各県知事、日本共産党などに発送することを決定する。

(注)民主化同盟 産別会議内に作られた反共分派組織、産別民主化同盟(1948年2月14日結成)。目標として「共産党フラク(注1)活動による組合不明朗と二重支配による非民主制を排除する」「一切の自由組合として一大陣列に結集する」を目標としていた。総同盟の支持を得ていた。産別傘下の各単産にも波及していた。1949年7月15日新産別を結成。

(注1)共産党フラク フラクション(fraction)活動の略。政党が労働組合などの大衆団体の中にフラクションと呼ばれる党員の小グループを組織し、フラクションの組織的活動によって、大衆団体の活動方向を政党の政策や方針に合致させようとする活動。主として日本共産党の活動にいわれる。

 日本で論議の対象になった例としては、産別会議内における日本共産党のフラク活動がよく知られている。1947年の2.1スト中止後、それまでの闘争における産別会議指導部のあり方に批判が集まるようになった。「世界大百科事典 第二版 平凡社」

マッカーサー宛の決議文

 世界民主主義の成長と防衛の目的を達するには、自由世界の平和と繁栄を熱望する諸国民の協力によって、ソ連共産党を打倒し世界共産化の野望を根本的の粉砕するにある。北鮮軍の侵入は可能な情勢において、赤軍が日本に侵入することを示す。  従って非武装国、日本の安全は国際連合軍の保障による以外道はない。日本人の為し得る協力は共産党の破壊対象である重要産業、特に電源を完全に防衛し、日本経済の復興を図り、世界平和に貢献する以外に道はない。(以下略)

 この事件では新聞報道のみでなく、反共ビラが貼り出されたりした。それら反共宣伝に電産の共産党勢力は「闘争ニュース」などを発行し対決した。最終的には、発電所の爆破は起こらなかったし、逮捕者も出ていない。まったくの幻の事件であったが、この後すぐ、電産のレッド・パージが開始された。

 松川資料室(注)の伊部正之氏は「電源爆破云々は松川事件などとは性格が異なり、もっとストレートな電産潰し、共産党潰しを狙ったものだと私は理解しています。・・・」と述べている。
 この謀略事件は、GHQを後ろ盾にして政府、経営者(資本)が反共を運動方針に持つ労働組合を使って、電産猪苗代という地方の規模の小さな労働組合を舞台にくり広げられたものである。その当時福島は共産党の勢力が全国でも強い地域であり、ここを叩くことにより、全国にわたるレッド・パージを成功裏に終わらせるための突破口としたのだ。 またこの電産つぶしの狙いは、日本の労働運動全般に影響力をもつった労働組合を弱体化することにも目的があったと思う。それは電産の前身である電産協の、1946年10月闘争に象徴される輝かしい闘争成果を見れば明らかであろう。このとき他労組が苦しい戦いを強いられている中、電産協はほとんどの要求を勝ち取り、中でも賃金モデルは、日本の全ての労働組合が率先して採用し、日本の労働者の賃金モデルになった。

 電産猪苗代分会 27の発電所、変電所、組合員数1,800名。

(注)松川資料室 1980年10月31日福島大学内に開設。福島県松川運動記念会と共同開設。

電産のレッド・パージ

 電産経営者は、国鉄、全逓のような国家資本でなく炭労、私鉄のような民間資本でもないという特異な資本であった。 1950年8月26日 人員整理問題での労資交渉の場で一方的に解雇通告がなされた。それは各社の「給電所」「営業所」「支社」等別々に同じ日付で行われた。それぞれの交渉(通告)場所は特別に設けられていて、そこにはほとんどの場所で警官、暴力団、など社外の者が同席していて、問答無用で事を進める体制がとられていた。これは事前に準備しなければできないことである。
 この電産パージの特徴は、電産中央常任執行委員会が、これに先立つ7月12日に「電産非常事態収拾に関する特別命令」によって労働組合が組合員の解雇(パージ)に荷担したことである。
 特別指令第(4)項は「国際赤色手国主義の利益のために組合デモクラシーを否定し、組織のは会社たる日本共産党の指導に盲従する極左分子及びそれら一切の影響を断固排除する必要があること」としている。

 特別指令の一部分は

1、(3),(4),(5)項を確認する組合員によって組織を運営する。

2、 全組合員は本指令に対する態度を速やかに決定し、別に指示する手続きに従い・・・確認書を中央本部に提出する。

3、 中央本部はこの確認書を最終的に審査し、これにより電産組合員名簿を整理する。(特別指令は全6項目)

 さらに中央常任執行委員会は、人員整理(レッド・パージ)に当たっては「原則的には特別指令を拒否し確認署名しない者の反対闘争はしない」としていた。この時点で各地域の労働組合では解雇者が出たときは、「ストライキで闘う」ことを決めていたが、ストライキは警察、MPによって中止させられ、大きな流れを作ることはできなかった。日本発送電の場合は、労働組合、経営者(資本)、警察による地域的反共組織として”電源防衛同盟”が結成され、人員整理が進められた。GHQの関与の一例として、エーミス労働課長と電気事業経営者会議事務局長(藤田友次郎)との会談の中かで、エーミスが”整理人数が多すぎたのではないか”といった記録がある。

レッド・パージ人数は2,137名、うち共産党員は1,838名であった。
この項は「東京電力」研究 排除の系譜 斎藤貴男著 講談社」から引用。都留文化大学図書館 平田哲男、塩田庄兵衛の「レッド・パージ」を参考にしている。

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