電産の歴史

日本電気産業労働組合(電産)の歴史

 戦前、日本の電力は日本発送電(株)と全国九配電会社の十社体制であった。

1946年(昭和21) 春ごろ各社別に、十の企業別組合が作られる。

1946年4月7日 日本電気産業労働組合協議会(電産協)が、単一産業別組合として結成。

1946年8月 日本労働組合総同盟(総同盟)、全日本産業別労働組合会議(産別会議)が、それぞれ結成。

1946年8月16日 経済団体連合会結成(経団連)。

1946年10月 電産協 10月闘争の中心的役割を果たす。

1947年2月 2.1ゼネストGHQ命令で中止。

1947年3月 全国労働組合連絡協議会(全労連)結成。産別、総同盟40団体446万人。

1947年5月7日 電産協が日本電気産業労働組合(電産)として出発。1発送電会社と9配電会社計10社の労働組合。約13万人。

1948年4月 日本経営者団体連盟結成(日経連)。主に労働問題を扱う。

1948年6月 総同盟、全労連脱退。

1948年12月 〈経済安定九原則〉(別項)により、電力の全国九地区への分割再編の動きが出る。

1949年5月 電産第4回大会後、指導部を民同派(注)が多数を占める。

(注)民同派とは 1946年10月闘争の後東北地方の寒村で結成された「緑の会」運動が、その始まりである。2.1ゼネスト中止後、各労組内で発生した多様な反共グループが、反共の一点で結束した集団。(「東京電力」研究 排除の系譜 斎藤貴男著 講談社)

1949年12月 電産から「関東配電労働組合」が分裂。1951年>東京電力労働組合へ。

1950年5月 電産第5回大会流会。(福島県猪苗代分会の代議員問題)

1950年8月13日 民同派幹部563人が会津若松で、電産猪苗代正統派分会を設立。(分派を結成)

1950年8月26日 解雇通告が出される。2,137名(内共産党員1,838名)。レッド・パージである。

1950年10月 産別会議を脱退。

1956年3月 事実上の解散。

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