憲法改正(改革)

憲法改正(改革)

憲法改正(改革)日本の活動

 現行憲法制定の問題点は、大日本帝国憲法(明治憲法)の第一条の天皇条項の精神を継承したということであろう。”象徴”という曖昧な言葉を使い、いかにも斬新な天皇を作り出そうとしているが、天皇制は、日本の歴史に連綿と続いてきた「封建制」の権化である。

 もう一点は、憲法を作り上げるための検討時間が、圧倒的に少なかったということである。このことはマッカーサー(連合国軍総司令官)の考えによるところが大きい。マッカーサーにとっては好都合であったのであるが、日本の占領政策の決定権を持った「極東委員会」が始動した時期がヨーロッパの事情によってかなり遅れたということである。マッカーサーはこの委員会が動き出すと自分が考えていた、

 @天皇制を残して、天皇と共に日本を支配するという方針 

 Aそのためには憲法に天皇制を明記させること、

 の主要な政策が破綻する恐れがあると考えたのである。そのため、彼は1945年10月に日本政府に憲法改革の指令を出してから、わずか数ヶ月の間に新憲法草案を日本政府が議決するという早業を見せたのである。

 特に委員会が日本に調査団を派遣した1946年1月からはその速度は速まった。これは当時の世界の状況は(アメリカ合衆国を含めて)マッカーサーの考える日本国を作り上げるのには、きわめて難しい状況におかれていたからである。(連合国の天皇制の考え方の項を参照)不破哲三氏も言っているとおり、極東委員会の『干渉』(マッカーサーに対しては)により国民主権という壮大な権利が憲法に保障された。日本人民が今、それを享受できる環境にあることは「極東委員会」に負うところが大きいのである。

1945年10月4日 共産党が合法政党として活動開始

1945年11月2日 社会党結成

1945年11月9日 自由党結成

1945年11月16日 進歩党結成

憲法制定のための各政党、団体の主要な考え方を以下に記した。

自由党案(鳩山一郎総裁)

___ ◎統治権ノ主体ハ日本国家ナリ

___ ◎天皇ハ統治権ノ総攬者ナリ

___ ◎天皇ハ万世一系ナリ

___ ◎天皇ハ法律上及政治上ノ責任ナシ

(大権の廃止。すなわち、緊急命令・執行命令・独立命令制定の大権・管制大権・統帥大権・編成大権・戒厳大権・非常大権は廃止する。)

進歩党案

___ ◎天皇制護持

___ ◎君主政体と民主主義は両立する

___ ◎天皇ヲ国家ノ機関ナリトスル説ノ如キ、又天皇制ハ存知スルガ統治権ハ其ノ一部ヲ天皇ニ残シ他ハ人民ニ帰セシメントシ、或イハ天皇制ヲ廃シテ天皇ヲ以テ単ニ儀礼的象徴トスルニア非ザレバ民主主義ヲ貫キ得ズト考フルガ如キハ、何レモ我党ノ採ラザル所デアル。

___ ◎人権擁護ノ点ニ格段ノ重点ヲ置イタ。

社会党案

___ 天皇の大権を制限し、民主化された天皇制のもとに民主主義的社会主義の実現を追求するもの。

___ ◎主権は国家(天皇を含む国民共同体)にあり。

___ ◎統治権は之を分割し、主要部を議会に、一部を天皇に帰属(天皇大権大幅制限)せしめ、天皇制を存置す。

___「天皇統治権の内容」

___ ◎内閣総理大臣は両院議長の推薦に基づき、天皇これを任命す。ただし天皇に拒否権なし。

___ ◎条約締結は議会の権能に属し、天皇これに署名す。ただし天皇に拒否権なし。

___ ◎天皇は外国に対し儀礼的に国家を代表す。

___ ◎天皇は政治上の責任なし。

___ ◎皇位継承、摂政設置は議会の議決による。

共産党

___ ◎主権は人民にあり。

___ ◎民主議会は主権を管理す。

憲法懇談会(尾崎行雄・岩波茂雄・渡辺幾次郎・石田秀人・稲田正次・海野晋吉)

___ ◎君民同治主義。天皇は第一市民たるの主義によりその主権その他に関する規定を設けたり。

___ ◎天皇は最小限の政治上の権利、すなわち法律裁可、執行命令、議会召集、停会、衆議院の解散、官吏仁免、条約締結(議会の同意を要す)、栄典授与、恩赦の権を有するも、立法行政の実権は議会および議会に対して責任を負う内閣大臣の手にきせしむるいわゆる議会主義機構を採用したり。天皇にこの程度の国法上の地位を保留せしむるは天皇が日本社会の道義的中心たるためにも不可欠なるべし。

憲法研究会

___ ◎日本国ノ統治権ハ日本国民ヨリ発ス。

___ ◎天皇ハ国政ヲ親ラセス国政ノ一切ノ最高責任者ハ内閣トス。

___ ◎天皇は国民の委任によりもっぱら国家的儀礼をつかさどる。

___ ◎天皇の即位は議会の承認を経るものとす。摂政を置は議会の議決による。

この項は「天皇観の相剋 武田清子著 岩波書店」(294〜295ページより)引用

 以上であるが、当時の国民の心の中には「天皇」がドカンと座っており、それを取り除くことはできなかった。唯一共産党だけが天皇制を含まない「案」をを提出した。

●以下はWikipediaより引用

 憲法研究会メンバーは、高野岩三郎、鈴木安蔵、杉森孝次郎、森戸辰男、室伏高信、岩淵辰雄である。1945年10月末に高野が鈴木に提起し、同年11月5日結成。

上記の4項目に追加する

___ ◎国民の言論・学術・芸術・宗教の自由を妨げる如何なる法令をも発布することはできない。

___ ◎国民は、健康にして文化的水準の生活を営む権利を有する。

___ ◎男女は、公的並びに私的に完全に平等の権利を享有する。

 この案が新聞に発表された5日後に、GHQはそれを英訳して、詳細な検討を始める。ラウエル法規課長は1946年1月11日付で「この憲法草案に盛られている諸条項は、民主的で、賛成できるものである」と評価した。そして、GHQ案として文書化された。

 不破哲三は現行憲法成立について次のように書いている「私の戦後六十年 不破哲三著 新潮社」

 占領軍当局が草案を作ったので、「押し付け憲法」という議論があるが、そんな単純なものではない。

 ポツダム宣言を受諾して初めて民主主義の政治に触れた日本国内の議論には、落差が大きかった(政界との)。民主主義と口ではとなえても、「国民主権」という肝心かなめの原則を主張したのは「日本共産党」のみ。他の政党はすべて国民主権に背を向けていた。

 最初の草案にこめられた民主主義や平和の条項自体、アメリカの政治的思惑が生み出したというものではなく、世界の民主的世論の要請(天皇観の相剋参照−連合国の天皇制の考え方=別項)を背景にして提起されたもの。草案にあった「国民主権」の原則が政界(日本の)の抵抗にあい消えてしまい、”憲法制定議会”には「国民主権」の規定なしの草案が提出された。(占領軍当局の了解のもとにおこなわれた)このとき、「国民主権」の原則の明記を主張したのは、日本の政界では日本共産党だけ。国際的には「極東委員会」という11カ国からなる対日政策の最高機関が、新しい憲法では「国民主権」の原則を明らかにせよ、という決定をした。

 それで、現在の憲法は「国民主権」の憲法になっている。

 現行憲法を考えるとき、当時の世界の民主・平和の世論と、戦争の惨禍の体験の中から、平和と民主主義の日本を願う国内の力の合流によってなしげられたと考える必要があるだろう。

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