極東委員会

極東委員会

《極東委員会》

 日本を連合国が占領するに当たり、日本を管理するための政策機関として1945年12月27日にワシントンに設置されたもの。同年12月16日から26日にかけてモスクワで開かれたアメリカ、ソ連、イギリスの三国外相会議で決められた「モスクワ宣言」に基づくものである。対日戦に参戦したアメリカ、ソ連、イギリス、中華民国、オランダ、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、フランス、フィリピン、インドの11カ国で構成。1949年11月からビルマ、パキスタンが参加。

 主要な任務は、日本国が遂行すべき義務の基準作成および審議であり、軍事行動や領土問題に関しては行なわない。特に、日本政府全体の変更を伴う事柄については、委員会の事前の承認が必要とされた。(憲法制定でマッカーサーが期間を決め急いで取り組んだことに関連している)最高司令官の占領軍に対する指揮と日本における管理機構の尊重。緊急を要する問題については、アメリカ政府に委員会の決定を待たずに指令を発する権限が与えられた。(実質的にアメリカのフリーハンドが認められていた)極東国際軍事裁判(東京裁判)には委員各国から判事を一人出す権利が認められていた。アメリカ、ソ連、イギリス、中華民国が拒否権を持つ。

 この委員会はアメリカ政府の単独占領に対して、ソ連とイギリスが異議を唱え分割占領を実行させる目的で設立されたものである。アメリカのバーンズ国務長官はマッカーサーとの相談なしに設立を認めた。

 1946年1月9日〜2月13日 日本に調査団を送る。構成国の中からマッカーサーの天皇に対する取り扱いが生ぬるいという批判が出て、「ポツダム宣言の履行調査」という名目で来日した。

 同年1月29日 マッカーサー、極東委員会委員と「天皇の地位について」会見。

 同年2月26日 ワシントンにて第1回会合が持たれる。

 同年4月3日 第7回会合 天皇の不起訴を決める。マッカーサーに対して、「貴下は天皇の取り扱いについて特別の指令があるまで、天皇に対し戦犯として如何なる措置をもとってはならない」という委員会の指令が出される。(注意)(当時の、アメリカ政府の力の強さが分かる。同時に、アメリカ政府内の天皇に対する考え方が、天皇擁護派に軍杯が上がったことが分かる。)

 同年5月13日 新日本憲法採択の三原則@審議に充分の時間と機会を与えることA明治憲法との完全な継続性を持たせることB国民の自由な意思表明によることを決定する。

 同年6月2日 天皇制保存案を確認。(アメリカ政府の要請による)

 1952年4月28日 サンフランシスコ講和条約の発効で、GHQと同時に廃止された。

《委員会の構成》

第1委員会 賠償

第2委員会 経済および財政問題

第3委員会 憲法お第よび法律改革

第4委員会 民主的傾向の強化

第5委員会 戦争犯罪人

第6委員会 在日外国人

第7委員会 日本の軍備撤廃

《対日理事会》

 最高司令官との「協議」や「助言」のために、極東委員会と同時に東京に設置された諮問機関。アメリカ、ソ連、イギリス、中華民国、オーストラリア、ニュージーランドで構成されている。

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