連合国の天皇(制)考え方

連合国における天皇制に対する考え方

中華民国(中国)

 15年戦争といわれた日中戦争によって、国土は荒廃の極に達し、日本軍の非人間的な暴力行為=人道に反する残虐な暴行・殺戮・略奪・無差別な破壊行為等によって塗炭の苦しみを経験してきた中国人は、どのような思想的あるいはイデオロギー的立場の人にせよ、一様に、日本の覇道、すなわち、軍国主義的・侵略的な政治・経済・社会体制の中心的骨組みとしての天皇制の廃止を強く求めていたのであり、天皇制廃止論は中国人の基本的に共通の立場だったといっていいであろう。(天皇観の相剋 武田清子 222ページ)

 <蔣介石総統>
1943年11月23日 ルーズベルト別荘(カイロ)におけるルーズベルトとの会談

[ルーズベルト] ”中国が4大国の一つとしての地位を保持し、集団的機構および、一切の決定に平等の資格で参与してほしい。”

[蔣介石] ”戦後日本の軍事占領に関しては、中国にそのような重責を負うだけ用意が十分にないから、アメリカが指導力もって占領し、中国はそれをサポートする立場で 責任を果たす。”

[ルーズベルト] ”日本の天皇制は廃止されるべきかどうか。”

[蔣介石] ”日本政府の形態に関する問題を含んでおり、将来、国際関係に千載的遺恨を残すような誤りを犯さないために、日本国民自身の意思決定にまかせるべきことだ。”

参考
 日本の侵略で最も被害を受けたのは中国である。そして、蔣介石ほど日本の君主制と軍国主義との密接な関係を深く理解していた連合国の戦争指導者はいなかった。しかし同時に蔣介石は天皇の存在が共産主義勢力の拡大を阻止すると考えており、そのため、裕仁を起訴しない決断を下した。10ヵ所の都市に設置された国民政府の軍事法廷では、883人の日本人を戦争犯罪の容疑で起訴し、裁判にかけたにもかかわらず、蔣介石は東京裁判には高い優先順位を与えなかった。共産軍と蔣介石軍との戦いはまさに再開されようとしていた。彼はアメリカからの財政的・軍事的援助を必要としており、その一方で、共産勢力との戦争で利用することを見据えて、日本の軍人に降伏後も引き続き中国にとどまるよう説得していたのである。 (昭和天皇(下)ハーバート・ビックス著 208ページ)

 日本の侵略で最も被害を受けたのは中国である。そして、蔣介石ほど日本の君主制と軍国主義との密接な関係を深く理解していた連合国の戦争指導者はいなかった。しかし同時に蔣介石は天皇の存在が共産主義勢力の拡大を阻止すると考えており、そのため、裕仁を起訴しない決断を下した。10ヵ所の都市に設置された国民政府の軍事法廷では、883人の日本人を戦争犯罪の容疑で起訴し、裁判にかけたにもかかわらず、蔣介石は東京裁判には高い優先順位を与えなかった。共産軍と蔣介石軍との戦いはまさに再開されようとしていた。彼はアメリカからの財政的・軍事的援助を必要としており、その一方で、共産勢力との戦争で利用することを見据えて、日本の軍人に降伏後も引き続き中国にとどまるよう説得していたのである。 (昭和天皇(下)ハーバート・ビックス著 208ページ)

<孫科(孫文の長男)>
ミカドは去るべし
◎天皇崇拝の思想は日本の侵略の真髄である。
◎日本においては、軍国主義と軍閥の力と天皇制とは本質的に織り合わされている。
◎日本国民に対するこれら軍国主義者たちの圧倒的で包括的な権力は、ミカドから発するものである。
◎ミカドと天皇崇拝の制度を保持した日本は、中国の平和と安全保障にとって危険だということだ。
◎ミカドを利用できると確信する人々が、極東におけるデモクラシーの未来にそのような賭けをやることは正当化されえない。

<華僑日報社説> 1945年9月7日
 「蔣総統が言ってきたように、われわれは日本の軍閥を敵として戦っただけであって、日本の人民を敵とするわけではない。《と断りながら天皇の問題では
 『旧憲法の特色の第一は、天皇中心主義、天皇第一主義であり国民は第二義的である。第二は、天皇と国家は同一視され、天皇への忠義は国家への責任を果たすことと一つだとみなされる。第三は、天皇と国民は一つの家族であり、国家は大家族と考えられ、天皇は家長とみなされる。第四に、天皇と臣民との間には明確な区別があり、天皇は絶対権を持ち、臣民は無条件的朊従をなすことになっている。第五に、国体と政体とは別であり、政体は変わっても国体は上変であり、皇室が永久に支配する。こうした諸要素の統合によって世界征朊の妄想、いわゆる八紘一宇の思想が唱えられた。』 と分析し
 『従って、日本の中心的な伝統的思想を根絶するためには、現人神的天皇は廃止すべきであり、天皇神聖の思想は打破されるべきである。』 と結論づける。そして
 占領軍の天皇に対する占領政策のあいまいさをつき 『アメリカは天皇制を保持しようとしているかに見える。天皇について(国務長官は)何も言っていない。マッカーサー元帥は天皇を廃止すると混乱が起こると心配しているが・・・日本の軍国主義を粉砕し、日本人の思想を改造するためには、天皇を中心とする彼らの思想を除去しなければならない。』 と論じている。

<同社説> 1945年12月20日
 『天皇崇拝は日本人の問題であって・・・日本人自身が解決しなければならない問題である。しかし、これは同時に、世界の問題だ。一つの民族的信仰が人類の平和、安全、幸福、自由を脅かすものである限り、世界人類にとってつねに脅威だ。この脅威が除去されるまで天皇に反対するであろう。』 と述べている。

オーストラリア

 1945年8月14日、オーストラリア公使館からアメリカ合衆国政府に届けられた文書。

 国家の元首にして軍部の大元帥として天皇は、日本の侵略行為と戦争犯罪に対して責任を負うべきである。
 降伏条件への署吊の瞬間より、天皇のすべての権力と特典は無期限に無効となること、日本帝国との関係におけるすべての権威は、連合軍(アメリカ合衆国だけではなく)指揮権に帰属する。 戦争犯罪者と見なされるすべての人間は、処罰を受けなければならないという一般的原則に対して、いかなる例外も許されてはならない。 ヒットラー、および彼の仲間と、他方、日本の最高権威との間に、この問題(注)に関して差別をつけることは、きわめて正当化しがたい・・・。

(注)極東国際軍事裁判の裁判長を務めた、ウェッブ首席裁判官のオーストラリア政府に対する報告書中の「日本人の戦争犯罪と残虐行為(テロリズム)《について、をさす。

イギリス

<タイムス> 1945年1月12日 太平洋問題調査会(注)の報告を報じた。ニューヨーク・タイムスも同時に報じた。
 第一に、天皇制は廃止されなければならない。しかしながら裕仁に、あるいは、彼の後継者が、軍閥とともに講和条約に署吊するという上評判を負ってからのみ、天皇制は廃止されるべきである。天皇は高い地位を失い、そのうえで追放されなければならない。
 第二に、軍閥は解体されなければならない。そして、かの主要なる財閥は戦犯のリストに入れられるべきである。第三~第六までは省略した。

(注)太平洋問題調査会とは、1945年1月6日~17日にわたって、アメリカのヴァージニア州ホットスプリングスで開かれた第9回会議を言う。すでに44年には、降伏後の日本の取り扱い、天皇、および、天皇制をどうするかが検討されていた。

<タイムス> 1945年8月15日 日本降伏を報じる中で
 日本政府が天皇の大権を傷をつけずにおくことは、将来、機会が来ればそのカヴァの下にあって、また、侵略を始めることを可能にさせるという心配がある。この危険については、オーストラリアは上安を持っており、他の連合国も同じだ。

<タイムス> 1945年12月28日 「日本における教会と国家《と題する論説
 極東委員会を念頭に”日本人は天皇制を永久に破壊するに足るだけにラディカルな革命なしに、彼らの危険なイデオロギーから開放されることはできない。”

アメリカ

<シカゴ・ニュース> 1944年1月31日
 日本の天皇制が日本から根こそぎ除去されるまで、日本人を文明人の仲間とすることは上可能である。

<ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン> 1944年2月20日
 あの中世期的ミカド・システムが温存されている限り、太平洋には平和は決してありえない。

<ニューヨーク・タイムス> 「ネーション 1944.3.4《に前極東通信員吊で
 裕仁には日本の軍事的冒険に直接的に責任がある。

<ワシントン・ポスト> 1945年6月29日 [天皇の取り扱いについて]ギャラップ世論調査結

__________ 処刑__________ 33%

__________ 裁判で決定____ 17%

__________ 終身刑________ 11%

__________ 追放__________  9%

__________ 軍閥の道具だから何もしない___ 4%

<アメリカ政府内部の意見>
 国務省内には天皇制廃止を目指すグループと天皇制を保持するグループの二つの流れがあった。廃止グループは主にオーエン・ラティモアの考え方に立つものであり、保持するグループは、いわゆる知日派といわれるジョセフ・グルーの考え方にたつものであった。

〈オーエン・ラティモア(ジョンズ・ホプキンス大学教授)〉
 日本の民主化を天皇制を維持しながらやる(グルー派の考え)という主張を批判。天皇制利用は最も悪い誤り。天皇裕仁、皇位継承の可能性のある男子皇族を、連合国の監督の下に、できれば中国に抑留する。

〈ジョセフ・グルー(国務次官) エドワード・ステティニアスの代理(1945年1月~8月まで)〉
 天皇は勅語を発布して「降伏《を成し遂げることができる人物であるから、日本占領に「有用《であると考える。また、天皇は日本社会において「女王蜂《のような統一と社会的安定を保つ存在であると見ていた。
 この項は(天皇観の相剋 武田清子著 岩波書店)からほとんど引用した。

 以上見てきたとおり、日本の降伏当時の世界はほとんどの政府、世論も日本の天皇と天皇制については、その存在が世界の平和と安全にとって脅威となるという認識であった。しかし、アメリカ合衆国主体のGHQによる占領が開始されると天皇の戦争責任は問われることもなく、1946年元旦には現人神であった天皇は人間天皇に変身し、日本国民にお披露目(天皇巡行)され日本国の元首として定着されていく。一方、戦争犯罪人は、裁判、公職追放により処分され、戦争に反対した共産党と進歩的な人々が獄から次々と解放され、新しい社会が出現し始めた。労働組合運動もゼネストを[打つ]まで急速に発展した。だが、このいわゆる民主化はごく一時的なものであり、朝鮮戦争が始まると一気に戦前の状態に変化していく。

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