公職追放
            

公職追放

<1945年>

10月15日 治安維持法、思想犯保護観察法など撤廃を公布。

10月25日 憲法問題調査会設置。

10月30日 特高、教育関係者の追放指令

11月6日 四大財閥解体の諸施策設定。

11月18日 皇室財産の凍結。

11月21日 治安警察法廃止を公布。

12月6日 近衛文麿、木戸幸一ら19人の逮捕命令。

<1946年>

 アメリカ政府の追放方針は、1945年11月3日政府がマッカーサー元帥に出した指令「日本の占領並びに管理のための連合国軍最高司令官に対する降伏後初期の基本的指令」に基づいている。それは次のようなものである。

 『日本の侵略計画(中国、朝鮮他への)を作成実行する上で、行政財政、経済その他重要な問題に積極的な役割を果たしたすべての人々及び大政翼賛会、日本政治会とその機関、並びにこれを引き継いだ団体の重要人物はすべて拘置し、今後の措置を待つべきこと。(誰を追放するかを決定する最終責任を与えられる。)さらに1937年(昭和12年)以来、金融、商工業、農業部門で高い責任の地位にあった人々も、軍国的ナショナリズムや侵略主義の主唱者とみなしてよろしい。』

 公職追放とはポツダム宣言第6条「日本を世界征服へと導いた勢力を除去する。」の実施のことである。それは、 1946年1月4日付けのGHQによる[ある種類の政党、協会、結社その他の団体の廃止](SCAPIN548)、「公務従事に適さない者の公職からの除去」(SCAPIN550号)指令から始まる。第一次追放者は

1) 戦争犯罪人

2) 職業陸海軍職員、陸海軍省の特別警察職員及び官吏

3) 極端なる国家主義的団体・暴力主義的団体または秘密愛国団体の有力分子

4) 大政翼賛会・翼賛政治界及び大日本政治会の活動に於ける有力分子

5) 日本の膨張に関係せる金融機関並びに開発機関の職員

6) 占領地の行政長官

7) その他の軍国主義者及び極端なる国家主義者

と規定された。

2月22日 政党、協会其ノ他ノ団体ノ結成ノ禁止ニ関スル件発令

2月27日(28日) 就職禁止、退官、退職等ニ関スル勅令(勅令109号)(1947年1月に全面改訂され、追放対象を拡大した)発表する。翌28日、内閣に追放審査委員会を設置する。

6月29日 ?勅令 公職適否審査委員会を設置する。

以上の措置をとり追放者を決定した。

 戦争犯罪人、職業軍人、占領地の長官、軍国主義者・極端な国家主義者、政治団体の指導者(超国家主義団体27の解散を含む)1,067人の追放であった。   戦前の政党は1940年7月に解散し大政翼賛会(翼賛政治会)(注)として、侵略戦争を天皇、その軍隊、政府とともに戦ってきたが、この時期、その汚名を隠すために新しい党名をつけて政界に復活した。

日本進歩党(立憲民政党)(1945年11月16日〜1947年3月31日)、

日本自由党(立憲政友会、立憲民政党の一部)(1945年10月〜1948年3月)、

日本社会党(社会大衆党(1945年11月2日〜1946年1月19日改名)である。

しかし、それらの政党はほとんどが戦前のままの政策を踏襲しながら名前を変えただけのものであった。各政党の追放人数は

 日本進歩党議員 274名中 260名

 日本自由党議員  46名中  19名

 日本社会党議員  17名中  11名 

 日本共産党 再建された党の中からは追放者なし(日本共産党史を語る=上=不破哲三) であった。

(注)大政翼賛会 国民総動員体制の官製組織。1940年10月12日発足。1945年6月13日解散。翼賛政治会衆議院における大政翼賛会の政治部隊。1942年5月2日から1945年3月30日まで。

<1947年>

1月4日 「就職禁止、退官、退職等ニ関スル勅令」改定。

1月4日 経団連 公職追放者を出す。

第二次追放者

 「任命による公職者」を主とする政府機関関係者、経済団体、地方公職者をはじめとし、「選挙による公職者」衆、参議員立候補者、知事から市町村会議員までが対象となり、8,673人が追放された。戦争によって長年にわたりアジアと日本人民から資源と資産を吸い上げ、甘い汁を吸い続け莫大な財産を築いてきた経営者(資本の代表)もここに含まれている。1947年1月には、結成間もない経団連の常任理事、理事、評議員それぞれ29人中10人、95人中16人、332人中4人が追放された。

第三次追放者

 最後は、1月4日の勅令改定により、「地方公共団体ノ職員及ビ議会ノ議員」も対象とされた。陸、海軍正規将校、憲兵隊員、大政翼賛会関係者、会社役員、経済・報道関係者、在郷軍人会役員など193,142人が追放された。合計人数は20万人を超えるものであった。  1948年3月、ホイットニー長官(GS=民生局)の”追放審査を5月までに完了すること”という指示により、日本政府は同年5月10日をもってすべての追放作業を中止された。

 占領と民主主義 神田文人著 小学館 「昭和の歴史」第8巻から引用した。

  
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